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大倉文化財団「蝶々夫人」[抜粋] ~ 重文如来が御加護の濃密歌唱 [来日引越公演]

okurabutterfly.jpg2月26日・大倉集古館・1階展示室下手自由席
前々夜の室内楽に続いて本邦初と言う民営博物館が主催の「オペラの夕べ」と命名の篤志公演的な近年の正月吉例のロッシーニ企画での座長格の前週の「ナブッコ」出演も一因なのか本年は1カ月遅れでのプッチーニ作品への移行に国内では稀有のロッシーニ好きによるロッシーニ好きのための楽興機会の消滅は残念至極ながらも前企画と同様に協力関係の本会場の丘下に立地の劇場付置のオペラ研修所から飛翔の同窓の若手歌手によるオペラ愛好家のためのサロン公演へ心機一転の参戦。勝手知った視界確保の席取競争に昨年の寒風に比べれば快適な外気の中を開場20分前からの待機を経て同敷地内のホテルの如何にも宴会場用と思しき椅子を臨時搬入の好位置の座席を無事に占有の後は館内での暇つぶしとして展示開催中の一商社マンの蒐集による大概には当夜の演目の初演年代と重複の中国製と言う材質、文様、彩色、形状で多種多様な鼻煙壷の駆足拝見に興じて浮世絵と同様に異邦人が価値を認識の10センチ足らずの実用芸術に予想外の眼福の20分間を前座に正味80分足らずの名場面集での北魏時代の破岩製との常設展示の如来立像を劇中の仏壇に利用の舞台設定は仏像側を屋内、その真正面の短尺の伴奏ピアノ側を屋外に見立ての花道と両袖の客席で包囲の概ね正方形の舞台空間での変形仕様の中で女声は和装での4人の主役陣に限定の女中を進行役に設定の趣向での約20分間の第1幕は序奏に続いて同道で登場の米国人の二重唱は母国への郷愁感も濃厚に表出、無合唱での外題役の登場の独唱に続く幕切れと喧噪の群衆場面後と夜間表現の3面から「トスカ」とは比肩できない程に「オテロ」の後継とも勝手に受容の天国的な二重唱では4年前の「ルイミラ」での今世紀には絶滅に近い鳴き節も発生の高密で湿潤な歌唱に秘かに注目の士官役の地道な舞台経験と研鑽習練の成果とも拝察の人生観表明の独唱で準備も万端の輝かしさが増大の歌声にめずらしく筋書には適切な夫唱婦随の小空間ながら幻想感も湧出の濃厚な二重唱を拝聴。3年を10分に圧縮の休憩を経た60分間弱の後半2幕は会場の雰囲気も手伝って室内劇らしい展開が増幅の前奏に続いて幕開けの女声主従の二重唱から前半では高音部がやや絶叫調ながら出産設定時間での立て直しに成功の外題役は有名アリアと共に公爵の登場場面を割愛の領事との二重唱での実子登場後の独唱は至近距離もあって配役の同胞同性の境遇に想いを馳せた絶唱とも思える頂点を形成の一場と拝聴の後は号砲からの女中との二重唱では係員による籠入りの花弁に代替の飴菓子の配布でのまさに溶け終わる束の間の歓喜の客席との一体化の趣向に素直に共鳴しつつ間奏曲の省略後に当夜の刮目の最終幕は女声二重唱から男声2人を迎える当夜の蔭の主役とも言うべき配役の本分を体現の歌唱と演技に傾聴と注視の女中役の驚愕と欣喜と安堵が混在の実に日本人らしい表情の名黙演に続く三重唱は演劇的要素も醸成の三角状での立ち位置で各自の感情が伝播の殊に前幕での包容力にはやや希薄の領事役は自身から派生の名旋律が伴奏進行ながら過去の実演経験で最も明瞭に士官への譴責感に満ちた歌唱に以後の筋書展開への必須表現とも愚考の発見の後には期待の鳴き節も発現の士官役の場内に朗々と響き渡る退散独唱を経て主役の最期独唱は本作を締め括る士官役の蔭出しでの呼び掛けも効果的に前幕での実力発揮が継続の会場空間を考慮とも拝察の小振りながらも東洋的な諦観も含んだ張り詰めた緊張感で場内を満たして見事な自刃を目撃の感慨。旧財閥の創業家が護持の主催財団の14回目と言う篤志的廉価公演と同資本の平素は全く無縁な隣接ホテルへの利用客に謝意を抱きつつ片隅にはロッシーニ音楽への未練の一方で「蝶々さん」と銘打った新趣向で新地平を開拓と拝察の新企画の継続も熱望しながら出演陣と聴衆の熱気の残る劇場を後にしました。
アフターシアターは、庶民に可能範囲での営業貢献に会場で会った知人らと恒例の隣接ホテルの「桃花林」で。

日本ロッシーニ協会「ロッシーニの少年時代、習作と偽作 -ロッシーニの生涯と作品(1)-」 ~ モーツァルトに匹敵の少年期研究への端緒 [その他オペラ関連]

reikai12-2.jpg2月25日・オカモトヤ会議室・正面後方自由席
前日の弦楽四重奏の記憶も残存しつつ年末から2カ月ぶりでの4日後の閏日に作曲家55回目の誕生日とのペラゴロ間での有名軽口も勿論に飛び出した国内愛好団体の本年初例会へ参戦。企画考案への防衛策として効能の連続物の発案に同慶と同時に全回数は不明ながら演題の番号が暗示の今後の継続を示唆の作曲家の創作史を本邦を代表の学究の視点から概観の絶好の機会に閉会後に設定の会員向けの新年会もあってか設営の座席はほぼ満席の盛況を得て作曲家の15歳前後の数年を行きつ戻りつ辿りながら研究途上との注釈付きの上での少なくとも公開講演としては本邦初とも思える主題でのオペラ作曲以前の18年間の父母像を含めた駆け足的な足跡探訪と概ね各5分程度の12作の録音が繰り出された子細気味な創作探求での主催団体に相応しい好事家的好奇心に見事に訴求の3時間余を堪能。冒頭の50分間は「内容予告」で講師が提示の事前宿題の復習的な詳解に充当されて指定教材の図版の不鮮明を補完の画像を通じた城塞都市としての生誕地と二軒長屋の生家の実見、仏革命への共鳴に起因の頻繁に転地のホルン奏者の父親と仏革命軍が解禁の女性歌手の嚆矢的な母親の実像紹介を終えていよいよ突入の本編では10歳での本格的な音楽教育の開始に続いて12歳から4年間を習作期として器楽曲3作で全4曲、声楽曲2作で全5曲が選曲の"嵐の音楽"の原型、ファルサの独唱曲に通じる楽調、宗教曲の範疇を逸脱の装飾音符と甘美性を具備のテノール旋律とそれに絡むオーボエの対旋律にまさしく栴檀の双葉を実感の創作物に加えて既にファルサに直結の楽想を納得の後は17歳頃の講師曰く「出席は少ないが課題曲は提出ながら対位法中心なので友人らとの演奏作品に個性あり」との音楽学校期として器楽曲2作、声楽曲1作2曲が選曲の前奏でのホルンの技巧旋律に後年の特徴の他にもファルサ第1作の序曲への転用曲も登場して最後に18歳前後の実質的な1作目の「デメポリ」への処女作直前期として声楽曲1作が選曲の前奏はエルネスティーナの登場のカヴァティーナを経てチーロの同種楽曲へと直結の音楽に作風の特質を再認識。本編の後半として講師自身の実体験も踏まえた真贋裁きの名奉行の本領発揮とも拝察のロッシーニで殊に特有とも想像の天才性の証左とも思える少年時代の自筆または未確認の諸作品の作曲時期を含めた贋作判定の御白州に5例が引き出されて現認確認の前に行方不明との米国図書館の所蔵楽譜の真作ながら作曲年への疑問を露払いに2作での1分程度の録音試聴と共に贋作または少なくとも後年作の宣告と共にその論拠が実に痛快にも論旨も明快に続いて作品目録で真作として掲載ながら他者による作品転用が濃厚の2例、作曲家の真筆に混じった誤認が1例、同時代の楽譜に権威者が新発見の認定が1例の他に複合例として1例の判例解説を受講しつつ最後には50代での事例のために配布資料には無記載の事案として昨年の年初に経験の入場券と予習用の録音盤を購入ながら参戦予定を結果的に断念のファゴット協奏曲も転用贋作との驚愕の事実に愛好家の屈折心理とも認識のニセ作騒動の末端渦中を体験の被害者の立場を誇らしくも喜ばしく甘受。さらに本日の付録として07年の楽譜の初出版を経て初録音が新発売との20歳頃の器楽曲の一部を静粛に謹聴の後にさらに主催団体からの新年の挨拶代わりと受容の6月に来日の巨匠の厚意で上映との10年のスペインでの演奏会形式の「テル」の終曲映像を拝見すれば当然に全曲上映会の開催を熱望しつつ次回は早くも今夏の音楽祭向けた恒例の予習会と言う予告に星霜を実感しながら会場を後にしました。
アフターシアターは、家人からの調達依頼に対応の最寄駅から浅草へ足を延ばして小売店員が推奨の「ぱいち」で。

世界こども財団「ブリュッセル弦楽四重奏団 東日本大震災復興支援チャリティコンサート」 ~ 篤志家公演のありがたみ [クラシック音楽]

brussels.jpg2月24日・サントリーホール・小ホール正面前方指定席
先週末の楽興の3連戦に続いて各種分野で劇場通いの「諸々四連戦」の初戦として知人からの厚意の招待券を利用のペラゴロ人生で指折り程度と予測の室内楽の演奏会へ参戦。贈呈応諾後の演目と奏者の確認によって現地に留学の大和撫子を含めて団員が同門かつ各地での各々の教鞭経験に加えて先年に邦人指揮者が音楽監督に就任の歌劇場の首席連との認知に興味も俄然に増幅しつつ半ば関係者向け公演とも推測の中を他所物の立場と門外漢の分野の両面から予習も無いままに"借りて来た猫"の状態で先着者を分け入って無事に着席。前半でのボロディンの意外にも1作目を選択の初聴の演目は先月の「イーゴリ」を想起の作曲家節も確認しつつ内声二部がやや控え目ながら室内楽らしいアインザッツの鋭敏さへの感受と同時に楽章を追うごとに音色が明瞭に変化の終着点として最終楽章では結尾に向けた壮大な構築美を形成の後は本邦楽団の海外遠征でのタケミツ物のように自国の現代物の弦楽四重奏曲から最初楽章のみが紹介されて冒頭の無調性や滑走音での如何にも現代音楽らしい音響の印象によって保守感性の無粋な東洋人の耳には定型的な羽音描写にほぼ終始の曲想は蜂よりもむしろ虻を連想しながら飛行音の消滅的な終結は退散なのか絶命なのかが判然としないままに10分弱で終息。20分間の休憩後は主催団体の活動と当夜公演の目的を考慮の結果とも拝察の役柄では乙女とは程遠いものの弦楽合奏分野での「ボエーム」にも比肩のシューベルトの有名曲が選曲されて前半曲での古典的な作風とは好対照に歌謡性に優れた本作の特徴とピットが本務の団員の特質が合致の殊に変奏楽章は連作歌曲の語り部のような自在な速度設定と表現変化に当夜の白眉とも思いつつ最終楽章のタランテラを想起の主題のほの暗い律動感も印象的に拝聴。アンコールもやや我田引水ながら古典とロマンの曲想の2曲が並べられて当夜の実質的な主宰者とも推測の後方区画の最前列中央に陣取った障害児教育分野での私学経営に辣腕の創業者の愛好曲と言う献呈的な有名カノン曲に続いてチェロ奏者の楽譜不携帯の御愛嬌を先導に訪問国の聴衆用に用意と拝察の歌唱旋律を第1と第2のヴァイオリンからヴィオラへの3節に編曲の「悲しい酒」では音符を追っただけの棒読み歌唱の退屈感の周囲への説明の比喩曲の思いがけない登場に吃驚のイタオペでの伊語の波状感と歌詞含意に無顧慮の歌唱よりも当然ながら遙かにベルカント的な演奏表現に中高年が中心の客席は当夜の最重要課題とも愚考の貴賓席の楽興感も含めて後方席にも気遣う大和民族の異民族の起立拍手に代わる顔前拍手も散見されて当夜の成功を部外者としても同慶。地殻活性期への突入と共に5年前の「キショット」を最後に資産家の出資興行も期待不能の状況ながら当代の海外雄飛の邦人音楽家の筆頭格とも言える音楽監督の下での当夜の楽団員の本業での来日をひたすら待望の一方でウィーンの歌劇場と同様にピットと室内楽活動と後継者育成との三位一体の演奏家活動に国情による社会風土と劇場経営の多様性は承知ながらも歌劇場の社会的位置付けと楽団員の役割認知に彼我の相違を再確認しつつ喧噪の残る劇場を早々に後にしました。
アフターシアターは、手近に最寄駅ビル内の「いづ味」で。

5月の予定 ~ 新緑に若芽オペラがよく似合う [その他オペラ関連]

5月は毎年、諸事情が絡み合ってオペラ公演の乏しい1カ月となります。過去を振り返ると、昨年は月末に新国の「コジ」がかろうじて初日、2年前は新国の「影」が下旬に2回、3年前はめずらしく大型連休に新国の「ムツェンスク」とさらに中旬にも新国の「ポッペア」、4年前は今年来日のフォルクスオーパー、5年前は藤原の「リゴレット」と、その都度に救いの神が現れて何とか8月のような"無オペラ"だけは回避されてきました。今年の救世主は4年前と同様にレパートリー制によって1カ月足らずの滞日でも本拠地興行には揺るぎのないフォルクスオーパーと、さらに二期会の若手公演です。前者は演目と価格の観点から一旦は敬遠したものの、後ろ髪も引かれていまだに思案中。後者はおそらく09年秋のモンテヴェルディ以来の2年半ぶりとなり、今回は創立60周年記念の一環としてラヴェル二本立てとなりました。フランス近代物で所要は正味90分、記念事業らしく若手らが両日で総勢42人も投入されます。中劇場でのレア物もあり、A席まで完売の営業好調にはひとまず慶賀です。予定は4月30日現在。(画像はペラゴロ生活とは疎遠な8回目を迎えた大型連休恒例の旧都心での音楽祭のチラシ)
sacrerusse.jpg19日「子供と魔法」&「スペインの時」二期会
   今月の貴重な国内オペラは主催団体が断続的に開催の若手公演
26日「シャネル・ピグマリオン・デイズ・クラシックコンサート」シャネル銀座
   今月の貴重な独唱会は伴奏者にも魅力な前年の年間奏者のOG公演

二期会「ナブッコ」(3回目) ~ 二期会合唱団の60周年記念公演 [国内公演団体]

nabucco3.jpg2月19日・東京文化会館・5階下手E席
一昨日からの何度聴いても血湧き肉踊る伴奏音楽が魅力の「ナブッコ三連戦」の酔狂な馴染み客としていよいよ楽日へ参戦(画像は会場で無料配布の「二期会通信」第288号に掲載の指揮者近影[撮影者不詳])。主催団体の「ニューウェーブ公演」の年長組的陣容での2回目は同配役の初日との比較の範疇で独唱陣は総じて各人の力量を発揮の1回目は一体如何との思いも浮上のやや大袈裟ながら別人とも錯覚の歌唱の披露に概して舞台経験が稀薄とはいえ専ら主役陣の出来映えに左右の全体的印象での格段の相違に今後の課題とも感得。外題役はアリアでは前日例とは正反対のカヴァティーナに優れて今世紀に入って散見の白色人種と互角に通用の声楽家として年齢相応の役柄での再聴の機会を今後に大いに期待、長女役は前回と同様に場内注視に誘引の最期独唱での哀感切々の感情表出に至るまでの音域の切り替えも円滑な登場の三重唱、見せ場のアリア、父娘喧嘩場面ともに安定の低音を武器に歌唱の密度は初日とは比較にならない実力相応と推測の難役への名誉挽回の健闘、次女役は王女としての品格と並んでロッシーニ作品で散出の国家と恋愛の狭間で後者を選択の確信愛を貫徹の乙女の心情を大詰の見せ場で清楚かつ決然と表現、その相手役は歌唱の安定感と旋律の波動感の向上、大祭司役は波動感には及ばずも凪状態から細波程度には生成の変化の殊に進行役的な役回りの最終場に至ってイタオペらしい役務達成の感慨。連戦の目的の伴奏は序曲の前半の歌唱旋律での器楽ながら長靴半島の歌心に満ちた歌謡性とピチカートの国内公演では稀有な立体感に溢れた一音一音の生命感から最終公演の展開への期待感も含んだ感興を湧出の渾身の音楽が場内を満たして長女役のアリアでは奮闘の邦人歌手を先導かつ下支えの男性合唱も包含の本曲の魅力を見事に再現の末に繰り言は承知しつつもカバレッタでの繰り返しの省略に返す返すも痛恨ながらオペラ史上屈指の豪壮な後奏では"巨人の乱舞"を想起の見事な音塊感に大地すらも震度2で共鳴の誘発現象には驚嘆、一転の後続場での祈祷歌では指揮棒を置いて展開から隔絶の作曲家の意図を十二分に実音化の一編の詩情的な静寂の一場を現出の力量に刮目、前半の大詰では独唱陣の舞台慣れも加わった輪唱はコンチェルタートの魅力が大脳を直撃の緊張感の保持のままに欲を言えば合唱にいま少しの粘り気を所望ながら声楽と器楽の一体感を壮大に構築の技量に感嘆、父娘喧嘩の場面では男女両声の現有の実力発揮もあって感情変化に対応の曲調の変転を意識の上で重唱曲としての連結感を形成のオペラ指揮者としての天分を感受、続く有名合唱と大詰の無伴奏祈祷歌では合唱団の奮起を背景に前者は異民族には間延び感の危険性を含有の劇中でのアンコールに楽日に相応しくオケと共に前2回にも増して"人馬一体"とも思える出色の抒情感に加えて後者はロッシーニの宗教作品とも錯覚の大詰感を放出の透明かつ凝集の歌声に合唱指揮者としての才覚も認知。閉幕時の音楽的高揚感の割にはカーテンコールは予想外に淡泊ながら例えば第3幕の冒頭の短曲合唱でも母国語の音節感を重視しつつ粒立ち感の短音と伸張感の長音や弱音の内向性と強音の外向性での明瞭な対比感、ロボット的な運動を想起のやや硬質な音楽の一瞬の"間"によるそれ故に生気感がなお伝播の躍動感、声楽と伴奏の渾然一体の劇的表現や高揚点を意識の巧みに積み上げを仕組んだ音楽づくりと硬軟の両面での予想外の充分な聴き応えに驚愕のイタオペの若大将色に脳内のみならず身体も染色の3日間を終えて今後の二回り、三回り、四回りの成長への関心の一方で国内組には再会機会の可能性への諦念を帯びた不安もよぎりながら贔屓作を堪能の充実感を抱いて劇場を後にしました。
アフターシアターは、一昨日に続いて定番の「厳選洋食 さくらい」で。

二期会「ナブッコ」(2回目) ~ 中日組でようやくの初日感 [国内公演団体]

nabucco2.jpg2月18日・東京文化会館・5階下手E席
前日の専ら伴奏音楽のみを堪能の平日ソワレに続いて「ナブッコ三連戦」の1回限りの中日組へ参戦。傾聴の伴奏はあくまで初日との比較の領域内では序曲の前半部での精緻化が象徴の一面では残念ながら聴き慣れもあってか疾風怒涛の魅力がやや後退の落ち着き感、一新の独唱陣によるコンチェルタートの一連の展開での出来映えの平準化が象徴の公演成立感にも影響の印象形成の全体的な統一感が醸成の興行の深化と受容しつつ既に主催団体興行の若手組では主役級での出演実績の注目の外題役は実年齢からは老け役の制約には承知ながらも父娘喧嘩の場面での二重唱を交えた3回、繰り返しを含めれば都合4回の朗唱部分での作曲家のお家芸として定評の実娘への父親の愛情表出を徐々に増幅の展開感とロッシーニが頂点との理解の台詞よりも音楽優位の明暗の一体的な対比感の両面で大成への道程として一層の歌心への踏み込みを期待の一方でその延長線上としてアリアでのカヴァティーナの平板感に対して一転のカバレッタでは力量を発揮の配下合唱を従えた年齢相応の愛剣を振り上げながらの颯爽の歌唱を堪能。長女役の初日組の同役とは相違のリリコ的な声質から初演時代の上演への根拠の無い彷彿の効能も加勢の次女役は密かに注目の故もあって姉妹観が逆転の存在感と拝聴の短曲ながら強固な信仰心が発露の安寧感に満ちた祈祷歌によって葬送行進曲に先導の展開から規模と効果は格段に相違ながら「どろかさ」の同種場面も連想の"救出"の大詰に繋がる悲劇場面を演出。大司祭役は登場時は緊張の故の力みに勝った歌声から次第に実力を発揮の伊語歌唱にも通じた経歴的に当日の芯的な存在感を放出の国内での利点は些少とは思いながらも今後の持ち役化を大いに期待。パルマ王立劇場が先行との提携演出は"勘覚"の鈍感を自覚のおそらくは「提携」と言う名の借物との拝察に結果的には帰着の寡聞にして初見と記憶かつ代行者の来日指導との推測ながら人物の機微よりは見方によってはやや虚仮威し的な舞台空間の三次元利用に効用の大仕掛けの装置に特徴とも愚考の決然とした伴奏とは実に対照的に強固な意図よりは経費節減の制約が伝播の終始に正邪の判然としない茫洋感が漂流して衣装では合唱での征服と捕囚の両民族間での無変化に対して独唱での前者の古代的と後者の近現代的との区分は明瞭でも改宗後の次女が父親とは相違の従前のままでは展開の一つの動力源の視覚化が欠落のようにも拝察の上に装置では同じ中東の少なくとも現代の乾燥地帯とはいえ内陸の大帝国の首都と地中海に近い聖地の区別が僅かに「嘆きの壁」と思しき移動装置のみでは字幕での補足説明の対策措置の他は極東の島国の神仏習合信徒には理解の埒外と拝見。若手が統率のピットでは序曲の演奏後や後半開幕の登壇時に早くも掛け声が飛び交う明瞭な伴奏音が聴き慣れた楽団から透明感を創出の大団円での緞帳が降下し始めても拍手を発生させない最終和音まで聴かせる音楽が続いて前夜との比較では入念が増大の"間"よりも弾力感に優れた瞬発力に満ちた好みの問題も加勢のやや波動性に弱くかつしなやかさに欠けたカヴァティーナ的部分よりもカバレッタ的箇所に余りある魅力の麦酒の味覚で言えば「スーパードライ」的な味わいの若さの発露との認識ながら年齢を顧慮すれは加速度的に進化の脳震盪すら心配の一音符一振りにも見える運動量の莫大な動作や時に両手を合わせた祈るような姿の一方でかつての米国人指揮者ばりの台上で跳躍など"見せて魅せる"面でもカリスマ性も垣間見える俊英指揮者の行く末にペラゴロ人生の新たな期待的関心を実感しつつ日没前の繁華街へ向けて劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で会った知人らと銀座へ移動の「煉瓦亭」で。

二期会「ナブッコ」(1回目) ~ "次世代大器"の熱血伴奏 [国内公演団体]

nabucco1.jpg2月17日・東京文化会館・5階下手E席
今楽季の中盤での頂点と位置付けの音に聞く新進気鋭の指揮者を目当てに実に本格公演は4年前の独人演出家でのフェニーチェを除けば14年ぶりでの贔屓作も加わって物好きは承知の「ナブッコ3連戦」の初戦に万難を排して都営歌劇場へ参戦。果たして耳タコの序曲の前半部は序奏部での強音の打ち込み、低弦が主体の蠢動のような仰々しさ、丸裸の歌唱旋律の音節感と伴奏ピチカートの生気に早くも作曲家後年の「運力」序曲にも通じる本曲独特の緊張感の場内への充満に続く後半部では律動感が全開の音符の粒立ちの良い鋭敏な快速よりも高速に近い血気盛んな演奏に先年にミラノと離別の大御所の若手時代を連想の序曲での早計とは思いながらも本国での逸材評価に得心の本編への期待も増幅から拍手を挟んで続く幕開けは思いがけずも「オテロ」の冒頭合唱を想起の迫力とその後の強弱の振幅を意識の呼吸感の実に自然な混声合唱、第二国家での提携公演先での再唱慣例を前提とも拝察の演出措置と演奏効果も考慮の劇中での1回目の円陣状のヘブライ人に指揮棒を置いても予想外に淡泊な音楽に対して2回目の客電を点灯の中で舞台前面に並列移動での表情を付加の上に最終音を推測12秒もの引き延ばしの一種の外連見と団体競技に一日の長の国民性も活かされた統合感と透明感に優れた歌声の統率力、母国物とはいえ旋律の見事な波状感の表出の上に「フィガロ」の二重唱から七重唱への拡張場面とさらに「ドンジョ」の夜会場面を手本にロッシーニが創始と勝手に解釈のコンチェルタートの劇的展開を閉幕まで少なくとも伴奏音楽はピリピリした緊張感とキビキビした力動感を保持のままにベルカント物の醍醐味を硬派風にやや大袈裟ながら身体の躍動感を誘発の実音化の手腕に本邦の学齢では大学院生に相当の弱冠24歳の大器への芳香を十二分に実感。独唱陣では前半はゲネプロの延長とも受容の出来映えとなって外題役は今後の伸張に期待の蛮王然とした声量での場内制圧の不足を補完の技量の旨味には今後の経験の蓄積を待望の中途半端感で閉幕、長女役は難役とはいえ開口時はメゾでの出自に納得の低音に安定感の一方で声域の切り替えに苦慮とも拝察ながら最期の独唱に至って当夜の主役陣での先輩格らしい本領発揮と拝聴の聴衆の同情感を醸成の作曲家の意図を体現とも思しき帳尻り合わせ的な退場、大祭司役は低声とはいえ伊語感に希薄かつ長音が一本調子のイタオペの魅力とは乖離の棒読み歌唱に祈祷歌では絡み手の独奏チェロがむしろ有節感を放出の主客転倒感と何れも中1日を開けた楽日への再聴に持ち越し的な期待感。決定者は不明ながらベルカント物の愉悦の一部が消滅の本作の「三大」と言うよりは全3曲のアリアでの何れもカバレッタの繰り返しの省略措置には欲求不満感ながらもおそらくは演目との相性も最適の兎にも角にも鬼気も伝播の眼光の若手指揮者の天性と拝察の速度感と弾力感と間合感で聴衆を熱狂に誘導の"音楽での大衆扇動家"とも言える資質を痛感の本邦初お目見えの体験をペラゴロ人生の記憶に留めつつ初日の劇場を後にしました。
  「春疾風明日を持ち来よ心地良し」 昭成
アフターシアターは、寒風下を隣駅まで徒歩の定番の「厳選洋食 さくらい」で。

ポーランド・テレビほか「ブリューゲルの動く絵」 ~ 美術と技術の幸福な結合 [その他音楽以外]

bruegel.jpg2月3日・ユーロスペース1・正面自由席
平日の暇つぶしとして3日前の09年製作の実録映画に続いて昨年末の80年近く前の喜劇を鑑賞時に映画館の入口に掲示のポスターに一目で食指ながら詳細確認を放置のままに危うく見逃しかけた一昨年に製作の実験的映画に筋書も不明な状態で世事をかき分けて最終日の最終回へ滑り込みの参戦。8年前の新国立劇場の「ファル」での事前説明会で演技指導に写実を重視の英人演出家が曰く「フランドルへの変更理由は筋書の設定年代で市民生活を描写の絵画が唯一に残存の地域」との記憶が浮上の魅了のポスターを一瞥して入場すると最終上映に間に合わせた半数程度の客入りの観衆に微弱な同志感も湧きつつ上映まで俳優が扮装の5カ月前の「トロヴァ」の紗幕絵と同一の表題画家の自画像的な大首写真と背景画的な登場人物たちで構成のポスターを拠り所に絵画が如何ように動くのかを予想とも言えない茫漠の想像の中で待機。画家の2番目の大作と言う「十字架を担うキリスト」を題材に前半の40分間は時に絵画と実写を巧みに合成、時にその延長線上で監督が創作の映像によって中央に鎮座の風車小屋に居住の粉挽職人に始まる監督が画中の群像から抽出との人物に焦点の早朝の日常生活から街道と思しき場所での雑多な庶民の日常生活の描写に続いて次の20分間では彼らの平穏を破壊の森林を駆け抜けて到着の騎兵の一団がおそらくは異端の咎での子牛売りの若夫婦の亭主を車輪刑で処罰の事件から筋書が本格化してその光景に憤慨の画商からの提案で絵画の構図どおりにフランドルに読み替えた有料パンフではキリストの最後の6日間と言う聖譚が二重写し的に展開。後半ではいよいよ本作の山場に向けて20分間はローマ帝国を旧教勢力、救世主を独立運動家、盗人を狂人に変換での絵画には無描写の「最後の晩餐」の模様などの創意場面も含めて絵画の中心点のゴルゴタへの行進、下手の遠景での十字架刑、中央部に遠景での絞首刑図をユダの自害に見立ての展開となって圧巻は行進場面での背景図に切り絵を貼り合わせる知育教材ように絵画と同一の装束と構図での生身の人間による再現は7カ月前の「コジ」の美術にも通じる撮影地探索も含めた天然自然と伝統工芸と先端技術を見事に結合の人間の着想力と創造力の結晶の賜物と実感の後は幕引きへの展開として唯一神の象徴にも思える処刑後の地震発生は無いものの深更らしき暗闇の平原に襲来の稲光と雷鳴を転換点にパレスチナでの史実と同様に庶民の日常生活への回帰に続いて最終場面らしい明朗快活な門外漢ながら彼の地の快活なルネサンス期の世俗音楽での庶民ののどかな集団舞踊で一巻の読み切り。パンフの解説に依れば筋書展開の契機のスペイン圧政は作画時期とは前後との事実に基づく通説には相違の作品意図ながら作画から数世紀前の「鳥獣戯画」を加工の動画化を遙かに凌駕の高度な技法での人物版との卑近な連想に脳神経の非力さを痛感しつつ画家の下絵挟みから散逸の1枚に先輩格のボスの模写と思しき空想動物の線画、室内場面では窓からの自然光がフェルメールを意識とも拝察の構図などおそらくは西洋美術愛好家への監督からの暗号も含有の好事家好みの一編に作画から5年前での任地からの帰国と設定のポーザ侯爵の義憤と悲願の由来を可視化の作品として記憶に刻印しながら谷上の劇場を後にしました。
アフターシアターは、最寄駅への途中で寄り道的に「若狭屋 渋谷店」で。

日本舞台芸術振興会「バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル」[Bプロ] ~ いよいよ豊饒の時代へ [リサイタル]

frittoli2.jpg2月1日・東京オペラシティ・3階上手C席
6日前のイタオペ派にとっては「ヴェルディの部」に続いて中3日での伊仏歌曲の福岡公演を挟んだ「ヴェリズモの部」へ前回より半値の2段階下降の視野狭搾席で気分も新たに参戦(画像は決定曲目を明記の第二弾チラシ)。当夜も前回と同様に前半の歌曲と後半のオペラ曲に明瞭に区分の構成に依って前回のシュトラウスと好対照に彼とは8歳年長の母国人の作品を選曲ながら序曲代わりのオケ曲に続く連作歌曲はヴェリズモ期と同時代の中でむしろ両者のちょうど中間年生まれのマーラー風な耽美色の濃厚な曲調を拠り所に初聴の作品を傾聴しつつも門外漢もあって聴く側の態勢に難ありの状態のままに20分間の休憩へ突入。当夜の目当ての後半は前回と同様に概ねオケ曲との交互登壇に従って前奏曲的に配置の意表を衝いた「アンジェリカ」の間奏曲でプッチーニの世界へ誘導の管弦楽は上の空に映像で拝見の本作の外題役での舞台名唱が専ら脳内を占有の効果を経て後半の独唱の3演目4曲は徐々に成熟度を引き上げの配列とも理解の上でアンコール曲の本編混入とも錯覚の舞台出演はもはやあり得ないとも想像のラウレッタの有名曲は乙女の懇願よりは女丈夫の自身の青春を回顧の貫禄と余裕の別次元的な歌唱に続いて作曲家の最終完成作から一転の処女作の第2間奏曲では偶然とも思いながら両夜で各2曲の舞踊曲の最後として「魔女の祝宴」との標題に相応しい作曲家の個性はまだ薄弱な曲風の派手な演奏の後に前曲と併せて1曲分との計算なのか同様な短曲での出世作の第2幕の独唱が旦那と恋人の狭間で呻吟の情婦の濃艶と可憐を融合の結果は堂々の姉御然の出来映えから続いて同作の間奏曲は逃走中の主役ペアの愛別離苦への顧慮に皆無なプッチーニの落とし穴に見事に落下の脳天気な環境音楽の域に終始の前回の「運力」序曲と同様な緊張弛緩の時間を経た後にこれも前回の本編最後で披露の同曲の有名アリアと同じく今後の持ち役化と言うアドルクの演奏効果を考慮と思しき曲順を逆転の最終幕の悲嘆歌と最初幕の登場歌は「運力」と同様に少なくとも演奏曲は各々に舞台場面を彷彿の既に準備万端の態勢と拝聴の歌唱に往年の同役を持ち歌の大歌手の系譜を継受の屈指の贔屓演目もあって来日引越公演を待望の予告編的な出来映え。歴代のイタオペの歌姫が披露の天下の名歌の伸びやかな名唱の最終音の質量ともに充足の場内を充満の歌声が惹起の前回以上とも思える万雷拍手に呼応のアンコールはパリの女優からローマの歌姫へと繋がる今次来日の掉尾に相応しい昨年に初舞台とのトスカの有名アリアが静々と開始されて全曲経験を踏まえたプッチーニ節が横溢の魅惑旋律を中間部での色調変化も繊細に実聴体験の中で屈指の本曲の魅力を表出の大団円直前の咆吼と弱音の対比も見事な見方によっては凡演全曲より価値ありとも思える当夜の頂点と受容の感銘。好みの問題ながら両夜の後半対決では当夜に軍配の前週の独唱会と併せて大歌手の円熟への道程の実感に半年前のミミも想起のできればイタオペでの次回拝聴を熱望しつつ劇場を後にしました。
アフターシアターは、手近に階下の「謝龍 オペラシティー店」で。

オーヴァル・フィルム+ヴィルダート・フィルム「ピアノマニア」 ~ 芸術家と技術者の協働と格闘 [その他音楽以外]

piano-mania.jpg1月31日・シネマート新宿・正面後方指定席
平日の暇つぶしとして前月の喜劇に続いて偶然に認知の諸国の映画賞を獲得と言う独人調律師を追跡の実録映画へ参戦。主筋にウィーンでのバッハのチェンバロ曲とオルガン曲のピアノ演奏への音色設定に神経質なまでに執心の仏人演奏家のCD制作に向けた1年前からの準備と録音現場での奏者の要望実現への献身も交えた誠実な対応と緻密な作業の密着記録、人寄せ意図が成功の副筋として前半に超絶技巧の若手と後半に老熟の大家との好対照な何れも世界的名手の演奏会への両者の発言も挿入の演奏会場での準備の様子、色物的に米国在住のヴァイオリンとピアノの曲芸技が売り物の二人組に着目の彼らへの出し物案の提供の逸話が絶妙に主人公の考案場面の仕込みを入れ込んだ沈静的かつ凝集的な本編から観客を弛緩の終結場面で完結、さらに目休めとして本邦の国営放送局の報道番組での手法と同種の平穏なピアノ独奏曲を背景音楽としたウィーン市街と撮影地近くと思しき田園地帯の詩情的な風景を適所に遭遇の構成の中で展開の頂点はやはり録音日での主人公の奮闘に置かれて舞台での演奏家、別室での制作会社の監督と技師の双方との意思疎通や演奏家の要求に対応の深夜に及ぶ調整作業など調律師から捉えた数日間の音楽録音の実相を理解の副産物。さりげなく愛妻と愛犬の登場は勿論に大手ピアノ製造会社の上役のお出ましからは元ピアニストと言う主人公の職人気質を体現の現場の人材力、彼が所属の在墺法人社長の発言からの管理力、さらに欧州拠点の工房や経営層の発言の経営力と同社の宣伝映画の匂いも銀幕から大放出の一方で喧噪競争のような聖林映画は別にしても寡黙かつ沈着な主人公の個性、風景映像と演奏場面を除いて無音楽の映像づくりの両面から実際以上に静寂感が残存の作品に喧噪の日常から隔絶の清流を聞くような感慨に全身浄化の作用も錯覚しつつ丁寧な撮影と周到な編集に本作への当然の栄誉を納得しながら試写室のような劇場を後にしました。
アフターシアターは、劇場で落ち合った知人らと手近に「新宿 立吉」で。
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